「主、もようがえは済みましたか」
朝一から始まった私達の休日のあれそれ。彼の口からこの文章が飛び出すのはこれで四度目だ。多分三分後に五度目が来襲すると思う。彼の言う、もようがえ、はいつも何処か不自然だ。まるで異国の言葉を発するかのような不器用ささえ孕んでいるから私はいつも可笑しくなる。
花柄のラグを踏みつけながら、
「貴方は模様替えなんてしないんだろうね」
でこぼこのシーグラス、青い花瓶を片手に顔も上げず私は言った。
どうしてシーグラスってくすんだ水色とか白とかばかりなんだろう、ひとつくらい赤色があったっていいものじゃないか?そんなことを考えていると、奥から怪訝そうな、
「一体全体なんの話です、主」
ああ、だからね。貴方は刀だから模様替えなんてしないんだろうねって話。私は心の中で答える。
貴方は自分自身がなんなのか分かっていて何処に帰るべきなのかも知っているから。羨ましい限りだ、私はたまにこうやって部屋中のものをひっくり返してはぐしゃぐしゃにしないと満足に息すらしておられないというのに。
そんなことを言うと焼酎の瓶に蹴つまずいた。無様に転げる前に彼の腕が私の胴に回る。さっきまで奥の部屋に居たはずなのにこの一瞬でどうしてここまで来れたのか。
「危ないですね、瓶を転がしておくなんて」
「美味しいんだよ、それ」
捨てておいてくれる?
ええ、勿論。
それと、ありがとう。
ええ、勿論です。主。
「長谷部」
「ミモザですね」
飾ったものはひとまずオーブンの上。彩ったり粉々にしたり、だから私は進まない。
「長谷部」
「食器類です」
危ないですから、お気をつけて。
今更一体何が危ないというの?
「私は刀を側に置いている女だよ」
ひび割れた食器くらいで怪我なんてしない。そう答えながら全て袋の中へさようなら。水中では呼吸ができないのと同じ、昔のひとから貰ったものがある水槽では私達は存在できない。
それをこっちに。
これはあっちに。
良い?
「ええ、直ちに」
じゃあ問題。
私達は、どっちに?
とうとう彼は名前すら呼ばなくてもてきぱき動くようになってしまった。ああ困ったな、どうしてくれようかこの刀。
長谷部は十分細身だけれどこれで意外と場所を取るのだ。だからまあそれも兼ねての模様替え、呼吸をしやすくする為のお掃除。ときめかないものは蝶々にして空に飛ばしてしまえばよろしい。
「主」
「なあに」
彼が手に持ち、しげしげと眺める白いぬいぐるみ。薄く灰色になった古い四肢はぴくりとも動かない。よくあんな瞳に耐えられるなあと思う、私なら一瞬で壊れてしまうだろう。
以前から気になっていたのですが、
「一体これはなんなんです?耳と尾を持つ…白くて丸い生物を模した模型…主がよく泥酔した際に両の腕で潰していらっしゃる」
「あれは抱きしめているの。貴方分かってて言っているでしょう」
ああ。
「引き千切れんばかりに胸に押し付けているので息の根を止めようとしているのかと。俺に言ってくだされば直ぐにでもこの首刎ねてご覧に入れますのに」
なんと、まあ。
もしかして、
「嫉妬?」
天下の付喪の神様が、虫けら以下の人間に妬み嫉みの渦潮とは。なんて面白いんだろう、こんなこと私の短い一生じゃあ到底焼き付けられない光景だろうな。
「…断じて」
本当かなあ。
不遜な私とぴくりと眉を動かす彼。
ニッカの瓶を玄関へと放り投げる。フィカスを掠めて白い床に転がる、望みを叶えてベンガレンシス。
「誓って?」
そう、聞き返す。
「…た、」
「た?」
ぐしゃぐしゃの水槽、落ちる霞草、付喪神。
「……多少は」
身じろぎとメランコリーを乗せた声が私の耳に届いた。満足と呆れ顔で私はこっくりと頷き、本当に何処までも貴方は犬のようなものだねと思う。そして本当に何処までも私は不遜な猫のようひとなのだ。
どうか許してね。
私は笑った。彼は珍しく拗ねていた。
「…刎ねてもよろしいですか」
いつもそれだね。
「刎ねちゃ駄目」
古びています。
「今すぐにでも捨てた方がよろしいかと」
「貴方の方が古びているでしょう」
捨てないよ。貴方も、それも、花も。
この場所も、全て。
「なんせ私達は小さな生き物なんだからね」
私の言うことは、絶対。
なんせ私は貴方の主なのだからね。
彼は渋々といった様子で手付かずのままのベッドに白いぬいぐるみをそっと置いた。優しく置くその仕草に彼の優しさの全てが詰まっている気がした。優しくされたぬいぐるみが私は途方もなく羨ましくなった。いい加減私も飽きないものだなあ。
そんなことを思いながら、そろそろその白いそれも風呂に入れてやってもいいかもしれないなんて頭の裏側で考えていた。丁寧に汚れを落としてやって新しく綿を詰め直してやって、古いはらわたで私達はふたり縄跳びをするんだ。
私の足は上がるかな、さっきみたいに転びそうになったりしないだろうか。けれど彼が居るから大丈夫かな。だから、こんな楽しいことってないでしょう。こんなに嬉しいことってないでしょう。
不遜な私は時計を見る。今日は進むのが早いな。昨日は深酒しなかったから早く起きられた、だから誰か褒めて欲しい。
長谷部。
「お昼にしようか」
少し早いけれど。
「そうしましょうか」
少し早いけれど。
窓から入る風はまだほんの少しだけ肌寒いね。カーディガンを羽織ろうと思ったのに、あーあもうあれ捨てちゃったんだった。
仄かに身震いするこんな日にはどうすればいいか貴方知ってる?
答えはワインをコップ一杯だけ飲み干したら良いんだけれど、安物は泣きながら排水溝に流しちゃったんだったね。月一のあれを思い出しちゃって私は思わず吐きそうになってしまった。本当にあれだけは不愉快だ、殊更に出てくる場所が不愉快、なんなら自分で腹を捌いた方がましなくらい。
彼に頼めば喜んで引き受けてくれそうだ。そう思うとすぐに私は愉快に笑えた。
要らないものばかりが増えていく、
捨てることは私得意ではないから。
「主、これを」
なんて貴方が言うから、
「ありがとう、長谷部」
私は貴方の羽織に腕を通す。
私は一切合切不遜な命だから。
きっと来世でもそうなんだろう。
ねえ、長谷部。
もしもバチが当たったその時には、私が天に向かって毛を逆立てるから安心してね。
私達を襲う雷は、決して私達の右耳と左耳の間を通り抜けたりなんかしないから。
約束するから。
だから貴方も約束して。
もしもその時がやってきたら、
私を避雷針にして逃げてくれると。